内本典子(うちもと・のりこ) 氏
1989年に大阪薬科大学卒業。病院薬剤部に8年間勤務した後、1997年12月〜2000年2月まで、青年海外協力隊に参加し、ザンビア共和国へ。現地で薬剤技師養成大学で薬学教育に携わる。帰国後、奈良東九条病院薬剤部に勤務。2001年8月には長崎大学医学部熱帯医学研究所研修課程を修了。
アフリカで、薬学教育に携わって知ったこと〜海外青年協力隊でザンビア共和国へ〜
8年近く勤めた病院を辞めて、JICAの青年海外協力隊へ参加した内本典子さん。アフリカの南部、ザンビア共和国へ渡り、薬剤技師養成の大学で薬学を教え る2年間を過ごした。ザンビアは1964年に英国から独立した国。人口は1000万人程度だ。国民のほとんどは経済的に貧しい。平均寿命は短く、感染症に よる死亡が多い。それでも人々は明るく、たくましく生きている。
そんなザンビアの生活を垣間見て「人生について、日本の医療について、考えさせられることがたくさんあった」と話す。
「青年海外協力隊の試験を受けたときは、"なんとなく"だったんです」という内本さん。大きな志や"ボランティア"という気負った気持ちがあったわけでは なく、「途上国の人々と共に暮らし、そこから"なにか"を感じたい」という、漠然とした思いでの応募だったという。ただ、薬づけの日本の医療に疑問を感じ ていたことだけは確かだった。
希望した職種は病院薬剤師。しかし受かってみると隊員要請書には「大学の薬学科において講師として活動する」と書かれていた。つまり薬学生に薬学を教える という仕事だった。「言葉の問題もあるし、薬学生に教えるなんて、正直、とても不安でした」。どうしてもダメなら戻ってくればいいんだから・・・そんな先 輩の声に励まされて、日本を発った。
紙一枚の喜びがある国へ
健康食品に関する質問も、回答が難しいものの一つだ。「“食品”という名称がついていることから、安全だと思ってしまう人が多いのですが、当社でイチョウ葉エキス(健康食品)に関する調査を行ったところ、海外では併用禁忌である血流改善、血栓予防のためアスピリンを服用している患者が複数存在したなど、問題となる場面もあります」と藤田さん。健康食品を提供するドラッグストアや薬局での情報提供が非常に重要と考え、どうすれば健康食品をより安全に適切に使用してもらえるか、そのための情報提供はどうあるべきかを日々、模索していると話す。
すべての商品に関する情報を熟知するのは不可能なため、調査能力も求められる。例えば「妊婦さんが、逆子をお灸が治ると聞いたが、どうすればいいのか」など、扱っている商品であるにもかかわらず、聞いたこともない使用方法を質問されることがあるからだ。「メーカーに問い合わせてもわからない。あちらこちらに電話をかけ、ようやく助産院の助産婦さんが逆子の矯正法があることを教えてくれた」こともあったという。
「ドラッグストアは、地域の人々が気軽に健康や生活に関する質問ができる場所になっていくべき。そのためにはドラッグストアの薬剤師は、幅広い知識が要求されます。それをバックアップするのが私たちDI室の仕事です。常に新しい情報を収集し、店舗に発信することによって、ドラッグストアの機能を高めて生きたい」と藤田さんは話している。
感染症が主な病気、死が近い
内本さんの大学での担当科目は薬理学と微生物学。薬理学では1年次では動態学、薬力 学などの基礎薬理学を、2年次には中枢神経系、循環器系、呼吸器系作動薬などを、順番に教えていく。しかし疾病構造が日本とはまるで違うザンビアでは、使 用頻度の高い薬剤もまるで違い、自ずと重点的に教える部分も違ってくる。
「もっとも時間を費やすのが感染症に使用する薬についてです。マラリアなど熱帯地方特有の病気、コレラなど衛生状態の悪さから引き起こされる病気、エイズ、結核など感染症が死に直結する病気として、深刻な問題となっているのです」。
日本に比べて、「死がとても近いところにある」と内本さんは話す。先日、ザンビアで教えていた学生が日本に研修にやってきた。内本さんがザンビアを離れて、わずか3年ほどであるにもかかわらず、共通の知り合いが何人も亡くなっていることを聞かされた。
「でも普段の生活は、日本人がイメージするような悲惨な感じではないんです。歌って踊って、みんな明るい。死が身近にあるからかも知れませんが、今日一日生きていることを楽しんでいるようです」。
便利なモノが引き起こす不自由
「ザンビアは、内戦こそなかったものの、それ以外の"途上国の問題"をすべてかかえている国だった」と振り返る内本さん。その中で、明るく生きる人たちを見て、考えさせられることがたくさんあったという。
日本に帰って、内本さんは実家を離れて一人暮らしを始めた。部屋にはテレビを置かないことに決めた。携帯電話も持っていない。便利なものが自分たちの生活 を不自由にしているような気がしたからだという。「テレビがなければ本を読んだり、趣味に打ち込んだり、勉強も少ししようかなと思うことができます。携帯 電話を持つと、電話が気になったり、メールに時間をとられたり。便利なものによって、限りある時間を無意味に使ってしまう気がする」。
そしてもう一つ2001年夏に、長崎大学医学部熱帯医学研究所研修課程を受講した。途上国の、衛生的とは言えない場所で、医師以外の者も治療を行わなけれ ばいけない状況にある世界に触れて、「薬剤師の免許だけでは出来ることがあまりにも少ないと感じた」のがきっかけだ。「薬学知識を持った上で、具体的に役 立つ知識や技術を身に付けたくなった」。
世界を覗いて「とても刺激になった」と内本さん。「何でも自由にできる日本という国に生まれてきたのだから、もっと何かできるのではないかと考えるようになった」と話している。
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